僕が見たカンボジア。
キャリアコンサルタントになり、子供がいる今、「日本との違い」に思うことがあります。
日本の子供たちのために、我々大人は何をするべきなのか。
明るい将来を見せてあげるために、どんな教育をするべきなのか?
ずっと印象に残っていることと今の日本を比べた主観をお伝えします。
僕が見たカンボジア
最も残る“子供の印象”
僕がカンボジアに行ったのはもう20年ぐらい前のこと。
そんなに時が経ってもずっと印象に残っていることがあります。
物乞いをしていた子供たち。
生命力に溢れた瞳を見て、当時の僕は衝撃を受けました。
「かわいそう」なんて全く思いませんでした。
目を見てなぜか“敗北感”すら味わった感じです。
「なんでコイツら、こんなに輝いた目をしているんだ!?」
必死で手を伸ばしたり、必死で僕を騙そうとしたり。
生きるのに精一杯な彼らを見て、当時のやる気のない自分を情けなく思ったんですね。
詳しくはこちらでどうぞ。
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【カンボジア~前半~】価値観を変えた出会いたち
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どこに行っても、子供たちが働いている姿。
これがずっと僕の印象に残っていました。
生きるために必死で働く彼らに、強く衝撃を受けた。
自分と比べた当時
そして当時、自分と比べました。
「それに比べて自分は何なんだ・・・」と思ったもの。
「仕事なんかしたくねえな」
「めんどくせえな」
「休んじまうか」
そんなことばかり考えていた自分。
生きることに何の意識もしていない。
意識しなくても生きていられる。
生かされていることに気づきもせずに、調子に乗っている自分がいた。
なんだかのうのうと日本で生きていたんだけど、自分ってただ生かされていただけじゃん!と。
先人たちが頑張って築き上げた安全の上にただ乗って生活している。
生きようとする意志の弱い、生命力の弱い自分に気が付いた。
な~んにも考えなくても生きていられる。
そんな素晴らしい?国に自分はいたんだな~と思いました。
あの頃見た子供たちと“今”
そして今は、子供がいます。
当時は自分と比べた子供たちを、今度は日本の子供たちと比べて思うこと。
『お金』『学習』『将来』などに対する姿勢が違う。
しかし、今後日本が向かっていかないといけないのは、カンボジアのように生命力溢れる状態だと思います。
僕の頃よりも、よほど生命力が必要とされる未来を生きていく日本の子供たち。
教育は「生きる力」に変わり、流れを変えようとする濁流の中にいる。
激しく変化し続ける生き抜く人材を育むため、主体性を強化する教育が始まりました。
「アクティブ・ラーニング」や「道徳」など、意欲的に学ぶ姿勢や自分の判断基準を持たせようとしている。
まだまだすぐに変わりそうにないのは、僕たち大人に責任があると思います。
だからこそ僕は、「キャリア」を学ぶことの重要性や子供たちにしてあげられることを発信し続けたいと思っています。
「カンボジア」と「日本」の子供
では、『お金』『学習』『将来』について、それぞれ何が違うのか?
お金に対する姿勢
日本の小学生ぐらいの子供たちは、お金を欲しがっていますか?
僕の回りではそんなにがめつくお金を欲しがる子がいません。
カンボジアの子供たちは『お金』儲けに必死。
日本の子供たちは『お金』に無頓着。
カンボジアでは、僕のような観光客を見るととにかく子供が寄ってくる。
ストレートに「金くれ!」と言ってくる子もいれば、あの手この手を考えて僕をだまくらかそうとしてくる子もいました。
印象に残っているのは、フレンドリーに「一緒に写真撮ろう」と言ってきた女の子。
まさかその後、「はい○ドル」なんて言ってくるなんて思っていませんでした!
その時ばかりは“参りました”とお金を払ったんです。
僕は決して、「こいつ騙しやがった」とか「きったねえな」なんて思いませんでした。
そんな空気ではありません。
彼女たちなりの必死の仕事だからです。
カンボジアでは、「お金を払ってください」ということにあまり抵抗がない。
日本ではどうですか?
「金払え」なんて、相当なことがないと言えませんよね。
金儲けが悪いことのような風潮だってある。
だけど、本当に子供たちはそのままで社会に出て大丈夫でしょうか?
社会に出て“理想と現実のギャップ”に悩んだり、仕事にやる気が出ないのは、なぜなんでしょうか?
ポイント
日本は、お金をもらうためにどうするか考える習慣が極端にすくない。
学習に対する姿勢
また、学習に対する姿勢も違います。
なんでカンボジアでは子供が働いているのかというと、貧しいからですね。
そして、学校に行っていないからです。
日本ではどうでしょう?
義務教育を終えると、文字は書けるし言葉は話せる。
最低限の仕事が出来る知恵が身に付いている。
どんなに調子に乗った学生でも、生きることや学ぶことなんて意識しなくても。
“全自動働くベース育成機関”が出来上がっている。
カンボジアでは、学びたくても学べない。
今はだいぶ日本の援助などもあり学校が増えてきましたが、当時はまだまだ学校に行ける子供は少なかったです。
そんな環境でもし学校に行けたら、必死こいて勉強しますよね。
カンボジアの子供たちは自ら『学習』したい。
日本の子供たちはイヤイヤ『学習』している。
これが現在日本では社会問題となり、日本人の自己啓発時間は先進国の中でも最低レベル。
社会のことを知らない大人が溢れ、ほとんどのことを自分事と思っていないのが現状です。
これはマズイ!
ということで、「アクティブ・ラーニング」を取り入れて“自ら学びに向かう姿勢”を養おうとしているんですね。
将来に対する姿勢
『将来』に対する姿勢も違うと思います。
これは特に、僕たち大人に責任がある。
カンボジアの子供たちは具体的に近い『将来』を考える。
日本の子供たちは遠くぼんやりと『将来』を考える。
カンボジアでは、子供たちは2か国語~3か国語を話す。
僕が行ったころは、「ガイド」が人気の職業でした。
学校に行けなくても、子供たちは自分で勉強をしている。
つたない日本語でいっちょ前にガイドしようとしてくるんです。
小学生ぐらいの子供が、自分で学び、自分で仕事をし始める。
子供たちの中では、すでに将来は今と繋がっているんです。
20年前、僕は将来を描けていなかった。
考えようともしていなかったと思います。
20年経った今も、将来と繋がった今を過ごせる人は少ない。
ポイント
今はすでに将来と繋がっている。
社会人と学生の境界線なんてない。
そんな教育を、子供たちにしていけたらなと思います。
こんなに条件が整っている日本でそれが実現出来たら、きっと素晴らしい時代が来るんじゃないかなと思います。
子供たちのために。
キャリア教育を成功させ、絶対に実現しましょうね。
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