曲づくりと自己理解

自分の興味・特性を知る

【自己分析・他者理解】“曲作り”から思考の違いが“今さら”見えた

今回は僕の恥ずかしい話をします…。

人から聞かれたことに対して、チンプンカンプンなことを返答していたのに「自分が正しい」と思っていたあの頃。

自分という人間の特性や他者は違うものだという認識がないと、人はこんなにも恥ずかしいことをしてしまう!?

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曲作りについて聞かれて・・・

今思い返すと、「なんじゃそりゃ!?」

高校生の頃、バンドをやっていた頃の話です。

バンドと言えばかっこいいはずなのに、僕の場合は恥ずかしい事ばかりであまり話したくはない…。

「こんなにも自分や他者の事が見えていなかったんだ」と震えます。

 

ギターを弾きながら歌う“弾き語り”というやつが好きで、いつもやっているうちに何となく曲を作るようになっていました。

そのうちバンドでもオリジナル曲としてやるようになり、ライブなどで披露するとよく聞かれるんです。

『曲作りについて』・・・

 

聞かれると気持ちよくなって、エッヘンと答えたくなるんですが、コレがひどかった

だって当時の僕は何も考えずに曲を作っていたんです。

ただ好きの延長で、知ってるコードを使って気ままに口ずさんだものを、ただバンドが曲にしてくれていただけです。

 

今思い返すと、「なんじゃその答えは!?」と突っ込みたくなることばかり。

いかに自分の当たり前に捉われていると変なことを言ってしまうのか!

相手の事を全く考えず、自己満足に浸っているとこうなります。

 

「メロディと歌詞どっちが先?」と聞かれて

たしか同じくバンドをやっている人に聞かれたことですが、「メロディと歌詞どっちを先に作るの?」といった内容でした。

これに対してまさかの一言を僕は答えます。

『ん、一緒!』

 

「は?」ですね。そんなわけない。

必ずどちらかが先にあるわけで、一緒ということはあり得ない。

でも僕の場合、“本当に同時に作っていると勘違い”していたんです。

 

なぜかと言うと、じゃらんとギターを鳴らすし、それに乗せて言いたい言葉を出すとメロディーになる。

思い付いた言葉を思い付いたメロディーで放つので、これって同時じゃんと思うわけです。

だけど、よく考えるとメロディーが先だったんです。

 

曲ってだいたい、同じメロディーを使って違う歌詞を使うのを「2番」と言いますよね。

僕の場合も振り返れば、お気に入りのメロディーが決まり、それに合う言葉を探していた。

よく考えれば「歌詞が先」というのは、「歌詞をすべて書いてから」という意味だったんだと思います

聞かれたことをよく考えもせず、自分の当たり前の中で片づけていた。

周囲にも同じ感覚を持っていることを強要するような返答だった。

 

この時僕が、「え?どちらかが先ってどういうこと?」と逆に聞けたら。

「歌詞を全部先に書くってこと?」と気づけたら。

「う~ん、どっちなんだろう?同じだと思ってたけど、そうじゃないかもな」と柔軟に受け入れられたら。

 

きっと相手は、「何言ってんだコイツ!?」と思ったことでしょう…。

 

「どうしたら良い曲がつくれるんですか?」と聞かれて

他にも覚えていることがあって、どこかでライブをした後に聞かれたこと。

「どうしたらそんなに良い曲がつくれるんですか?」

図に乗るには十分すぎる有難いお言葉です。

 

なんと僕の返答はこんなガッカリ発言。

『コーラを飲むこと!

 

まったくもって意味不明!

その場面しか覚えていませんが、きっと相手も反応に困ったことでしょう。

 

でも、でも、その時の僕にはやはり“そう言ってしまった理由”があったんです。

質問をされた僕は、曲を作っている場面を思い出してみたんです。

すると、「いつもコーラを飲んでるな。」ということに気が付きました。

そう、この時点で返答してしまったんですね。素直と言えば素直に。

 

確かにコーラを飲んだことによって何かが覚醒し、インスピレーションが湧きやすい状態になっていたのかもしれない。

「ギターを持つ時にはいつもコーラがないといけない」というぐらいに、なぜかセットでした。

でもその奥に眠っている理由を考えもせず、『コーラを飲むこと!』と。

「コーラを飲めば、キミもすぐにいい曲がつくれるよ!」と言ったということです。

 

そう、そんなわけないでしょうに…。

若い頃の僕は、相手の事など考えず、自分のことも深く考えていなかった。

それは振り返ると、とても恥ずかしいこと。

 

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成果へのプロセスはみんな違う

“自分と同じ”だと思っていた

どちらも共通していたのが、“相手の思考を想像していなかった”ということです。

相手が求めている答えや、何に期待しているかを全く考えていなかった。

自分と同じ感覚を相手も持っているものだという、何の根拠もない当たり前に捉われていた。

 

でも、大人になった今なら分かります。

成果に結びつくためのプロセスは人それぞれ全然違う。

頭の中の思考パターンも違い、考えていることは目に見えない。

 

『恥ずかしい人』に見える根本には、『人の気持ちが想像できない』というものがあるんじゃないでしょうか。

もちろん、人の気持ちなんて理解できません。

考えていることは見えません。

だからせめて、『分かろうとする気持ち』が見える人が大人に見えるのだと思います。

 

「出来る」と「出来ない」に分ける恥ずかしさ

では、人の違いや思考プロセスの違いを理解していないとどうなると思いますか?

僕はコレが最も恥ずかしいことだったと反省しました。

みんな自分と同じなのに、なぜ出来ないんだと思う。

『出来る人』と『出来ない人』に分けてしまう。

『違い』を『優劣』と勘違いしてしまう。

 

ただやり方が、考え方が違うだけなのに、さも自分の方が優れていると勘違いしている。

これほど“ガキ”と言われるにふさわしいものはありません…。

 

それで上司として人をまとめることなんて出来るわけがないですよね。

そればかりか、同僚と力を合わせて何かを成し遂げるための基礎的な部分が欠落しています。

仕事をはじめて、そんな恥ずかしい自分に気付いていくことが出来て本当によかったです。

 

知識がないうちは違いに気付かなかった

だからある程度、“人の違いを勉強すること”は大切だと思います。

世の中にはこんな人もいる!という知識がないうちは、世界はとても狭いもので完結してしまいます。

 

世界が狭く、しかもそれが全てだと思っていると、人生はとてもつまらない。

世界を知らないと、日本という概念は生まれず、文化も美しさも、誇りもない。

他者を知らない限り、自分を知ることは出来ない。

違いを知ることは、自分に誇りを持つこと。

 

劣るとか優れているとか思っているうちは、まだ他者をよく知らない証拠です。

本当に違いを知ることが出来たら、きっと自分の美しさも信じることが出来るはずです。

 

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宮内 利亮

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