経営者感覚になれ?

会社で起きる問題

社員に【経営者感覚】を持たせたい!?社員は持ちたい?甘えてるのは

社員に「経営者感覚を持ってもらいたい!」という社長は多いですね。

少しであれば社員は頑張ってくれます。

しかしものには限度があり、うまい具合の程度でとどめておかないとモチベーションは下がる一方…

甘えているのは社員?会社?どっちのほう?

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「経営者感覚」の弊害

自由がない

「経営者感覚を持て!」と言われてなぜ持てないのか?

それは、いくつかの条件が違うからです。

それこそ天と地ほどの違いがある場合もあります。

 

例えば「自由」

ここで経営者は、「何言ってやがんだ!経営者の方が忙しい!甘ったれやがって!」と思うかもしれません。

しかし、その考えこそが"同じ目線"に置いてしまっている証拠。

社長には権限があるが、責任もあるため自由がない。

社員は様々な約束・制約のもと働くので自由がない。

 

自由の種類が全く違う。

責任と制約の間には、天と地ほどの差があります。

責任は決まり事ではなく、主体性が問われるもの。

制約は主体性に関係なくやらなければいけないこと

 

「やらなきゃ…」と追われることが多いのは社員の方なんです。

もちろん、やるべきことは社長の方が多い。

それこそ数限りなくあるので、全てはやり切れない。

 

社長は(多すぎる仕事を)全てやらなくていい。

社員は(すくない仕事を)全てやらないといけない。

 

仕組みの中で働いているのと、仕組みを作る側にいるのとでは感覚が全く違うんですね。

 

評価(外的要因)で立場が左右する

これが非常に厄介なものです。

社内の『評価』があるので、社員は経営者感覚にはなかなかなれません。

ある意味、評価なんて気にせず働くことが経営者感覚ですよね。

 

社長が気にする評価者は、銀行・社会・お客様。

社員が気にする評価者は、社長・上司・お客様。

 

厳しいのは、銀行や社会からの評価の方でしょう。

甘えは許されませんよね。

対して社内の評価の方はというと、仕事の仕方に影響してくるんです。

 

自分や自分の家族の利益を考えたら、上司の言うことをしっかり聞かないといけない。

本当はやりたくないけど、嫌々ながらやる。

評価されない部分ではその分手を抜きたい。

 

しかし、それでも評価がないと社内の"頑張る方向性"は統一されない

つまり、「経営者感覚を持て」と「社員でいてくれ」は矛盾する。

それほど社長と社員、使用者と非使用者は別次元のものということです。

 

利益に直結しない

「やったところで」どうなるのか。

結局ココです。

 

経営者感覚で仕事をしたところで、自分は社長にしてもらえるんだろうか?

社長や役員と同じ待遇をしてもらえるんだろうか?

決してそんなことはない。

それは極端だとしても、先ほどの"評価"の中に経営者感覚が組み込まれていて、その評価が上がると給料が上がるぐらいの仕組みがないと動かないのが普通ですよね。

 

求められることに対する見返りが少ないと、やる意味を感じない。

一次的な起爆剤にはなることがありますが、結局それが自分の何らかの利益になっていると実感できない限り絶対に継続はしません

 

「成長がある」で乗り切れるのは、最初だけです。

成長した結果としての利益がないのであれば、成長する意味をいずれ感じなくなります。

 

求める分、社員に与えられるものは何か?

それを考えないといけませんね。

 

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社員に甘えてはいけない

社員は経営者にはなりたくない

そもそも、社員は経営者になりたくて社員をやっているでしょうか?

「楽して安定した給与が欲しい」という思考の方が強いと思いませんか?

"楽"と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、経営者からすれば楽に違いありません。

自分で切り開いて成長させた会社ではなく、すでにある会社に乗るだけなわけですから。

 

そんなに苦労してまで、経営者をすることに価値を見いだしていない可能性の方が高いですよね。

「社員はそもそも経営者感覚になりたいと思っていない。」

という前提を忘れてはいけない。

 

では、これは社長にとってデメリットでしょうか?

それは全然違います。

今の社員が全員「私は社長になりたい!」と言い出して退職したらどうでしょう。

社長は困ります。

 

社員がいるから、社長でいられる。

社長がいるから、社員でいられる。

 

労使関係はそれだけで利害関係が一致しているんです。

ムリに経営者のような考えを求めるのは、矛盾を生んでしまうんですね。

 

主体性を求めるなら、『社員としての主体性』を求めていきましょう。

 

社員への甘え”経営者のように”

社員として働くうえでの主体性には限界があります。

全く経営者と同じ感覚になんてなれるわけがない。

なれるのであれば、とっくに独立しているんです。

 

それでも会社の中で、文句を言わず“働いてくれている”わけです。

それなのに、「経営者感覚を持て」というのは社長の甘えです。

社員個人に求め過ぎてはいけない。

マネジメントや評価などの社内統制をして、しっかり社員を使ってあげる。

 

"使う"というのは悪い言葉に聞こえると思います。

しかしあえて。

社長と社員は、労使関係です。

使用者と労働者。

 

労働者は、人に使われたくないと思ってはいるが、それは対人間での話です。

会社の環境の中で、上手く自分を活かしきって欲しいとも思っているんです。

 

社員は活躍の場を求めています。

それを用意できるのは、社員自身ではなく社長。

経営者感覚を求めるだけというのは、「(自分はそうしてきたから)勝手に活躍しろ!」ということです。

そうではなく、環境を用意することが大切。

 

できることはまだまだあります。

諦めずに社員が主体性を発揮する環境を求めていけば、いずれ経営者に少し近い感覚を持った社員の集団になっていきます。

 

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宮内 利亮

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