変わる教育。
しかし学歴フィルターがある限り教育現場の大きな変革は望めない。
社会でも学歴だけではミスマッチが起こっていることも事実。
では学歴の他に自分の「はたらくチカラ」を証明するものは何か?
元人事部長キャリアコンサルタントの考える未来。
受験に代わる能力(特性)証明
「上下・有無・高低」がミスマッチの原因に
今回は社会にいまだ残る「会社と社員のミスマッチ」や「変わるわけにいかない教育現場」について、僕の考える未来の在りたい姿を書いていきます。
現代の教育が変わるに変われない大きな要因として、『学歴フィルター』の存在があります。
これは学歴フィルターの存在が悪いわけではなく、学歴でしか「はたらくチカラ」を見える化出来ていない人材・企業双方の問題があるんです。
大企業は人気なので、どうしても学歴でふるいにかけないといけません。
採用活動に時間を割くようなことは、人気企業にとっては慈善活動に近いことです。
問題は二つ。
- 人気が偏る⇒人材の企業を選ぶ材料が足りない(自己理解・仕事理解)
- 曖昧な求人⇒企業のマッチング努力不足(求める素質・能力の設定)
これが両方ないとどうなるかは明らかです。
どこで働いたらいいのかが分からず、情報を見ても何も載っていない。
現状のほとんどは、学校ランクの上下、資格の有無、偏差値の高低しか頼れるものがないのが現実です。
これはまずい!ということでキャリア教育も変わっていくわけですが、この構造を一気にごっそり変えるのは難しいですよね。
まずやるべきことは、早期に自己発見する人材の育成です。
今は1~3枚程度しかない応募情報をもっともっと増やし、企業が検索・選択しやすくすることです。
一律から個別への教育
上下・有無・高低でしか判断されない環境は当然、下の方にいる人達が活躍しづらい世の中です。
“良い・悪い、出来る・出来ない、すごい・ダメ”など、一部の人だけに生産性を持たせる構造になってしまう。
このままでは、人口が減っていく日本は持続不能です。
目指していくのは、全員が活躍できる社会構造です。
そのため教育は“個別”の教育を重視し始めていますが、やはり中学受験など“早期の上下づくり”になってしまっています。
実現したいのは早期に個性を発見し、そこに特化して伸ばしていく環境。
ほとんどの事をテクノロジーが代わりに出来る時代だからこそ可能になる社会構造です。
本当の意味で【一律⇒個別】の構造変更が必要ではないか。
フリースクールを選択肢にする家庭も増え、学校に通わせる代わりに家庭教師を雇う家庭もあります。
実は学校の教育だと無駄が多いと思い始めた人がいるし、一度離れてやっぱり学校の環境が一番だと思いなおす人もいます。
個人が目的を持って学ぶ時代が来ているんです。
家庭での教育方針はとても大切ですね。
「見える化」されていないもの
個別の教育を実現するために必要なものは何でしょうか?
学歴フィルターがなくなる⇒受験の重要度が下がる⇒教科を減らすことができる⇒キャリア教育に手が回る
この循環を作るために足りないものがあります。
それは、『学力以外の証明の見える化』です。
もちろん教育現場でもキャリアパスポートをつくったり課外活動を増やしたり、出来ることには取り組んでいます。
しかし無理のある体制の中でできることには限界があります。
①個人の特性(思考・行動)を証明するものがない。
②社会への接続(どこがどの特性を求めているか)をする情報がない。
②はおそらく①のあとに出来上がるものです。
偏差値が出来たあとにそれを選考ん基準にするようなもの。
現代ではこれが可能な世の中です。
早期に個性の元となる体験や興味を与え、気が付いたら自信を持って「得意だ!」と言える分野が見つかっている環境は、遠くない未来に実現可能ではないでしょうか。
受験に代わる能力(特性)証明
「みんな同じ」では見つからない
受験に代わって能力や特性を証明するものがあれば、もっと自由に人は個性を磨いていけます。
ただし、このためにも「みんな同じ」環境の中にいては難しい。
よく「自分探しの旅に出る」と言う人がいます。
なぜ旅に出ると自分が見つかるんでしょうか?
それは、外の世界を知ると自分の世界が見えるからです。
人とコミュニケーションを取らないと自分が発見できないように、町から出たことがないと町が田舎なのか都会なのかも知りません。
国を出たことがないと、自分の国の特徴は分かりません。
それがすべてであり、当たり前だと思ってしまうんです。
しかし現代は、インターネットが外の世界への窓になっています。
だから外に何があるかを知っている人が増え、今の自分の環境に疑問を抱いている人も多いでしょう。
「なんで学校に行かないといけないの?」などですね。
みんなが行ってるからでしょうか?
別に、学校は行かなくていいんです。(目的によります)
行かないといけないという常識に囚われ、親も子供も自分で学ぶ義務を忘れてしまっている。
学校の外に出ないと、「学校に行くっていいな!」という主体的な目的意識が持てないんですね。
自分を見つけるには、自分のいる世界の外に出ること。
仕組まれた構造から抜け出すこと。
みんなが同じにやっているということは、きっと“そうしないといけない”流れができているからでしょう。
仕組みの外には『自分のかけら』がいっぱい
仕組みの外へ抜け出してみると、自分を知るヒントがたくさん見つかります。
抜け出すのはとても勇気がいる世の中ですが、これは少しづつ変わっていくと僕は思っています。
学校に通うのをやめれば、「一人の方が勉強がはかどるな!」「やっぱり学校でみんなと一緒にいたいな」などの思いが芽生えます。
髪を金髪にしたら、「金髪にしたところで何も変わらないんだな」とか「寄ってくる人が変わったな」と気づきます。
海外に出れば、「日本の交通や運送会社は素晴らしいな」とか「日本は窮屈なんだな」と感じます。
「自分はひとりじゃない方がいい人なんだな」
「外見を取り繕いたい訳じゃない」
「自由が好きなんだ」
そんな風に、外に出れば新しい刺激があり、その刺激で感じるものが自分が何者なのかを教えてくれます。
仕組みから抜け出すと、『自分のかけら』を拾い集めていける。
【受験⇒早期特化】の能力(特性)証明
受験に代わり「はたらくチカラ」を証明してくれるものは、『特性の証明』だと思います。
早期に特性が見つかり、それに特化した勉強をしていけば『能力の証明』になります。
学力の証明よりも千差万別で難解な判断基準に見えますが、おそらくマッチングの精度は飛躍的に向上するでしょう。
ロジカルで成り立つ社会はある程度学力だけでいいのかもしれませんが、今後はAIにとってかわられる恐れのある分野でもあります。
超多様化社会の実現は、日本の未来を明るく照らします。
『誰一人取り残さない』というスローガンの通り、みんなが活躍する社会に変えていく。
そのためには何より、学力以外のものを見える化することが必要ではないでしょうか。