コミュ障?

自分の興味・特性を知る

【キャリアの自己理解】『コミュ障』を使いすぎるのは平均値狙い!?

キャリアコンサルタントとして相談に乗っている時に、全然コミュ障ではない人が「私はコミュ障なんです」と言うことが多い。

これ、すごくもったいないですよね。

大切な個性を手離してしまっている気がします。

本当によくないのはこういうコミュニケーション!

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しゃべれないことがコミュ障ではない

自信がないのはコミュ障ではない

最近よく思いますが、あまりに「コミュ障」という言葉が使われ過ぎているなと。

本当はそうじゃないのに、「あれ?自分もコミュ障なんじゃ?」と不安になってしまいますよね。

そりゃあ人間色んな人がいます。

コミュニケーションの取り方も人ぞれぞれ違うわけで、みんな一緒じゃないといけないなんて法律はありません。

 

でも“平均値のコミュニケーション”をみんなが目指してしまうから、それ以外がみんな「コミュ障」になってしまう。

話に割って入ったり、話に入ってこれなかったり。

うるさかったりおとなしかったり。

全部コミュ障なんて言ってたら、個性が潰されてしまいます。

 

たとえば、一番よく使われるのが「思うように発言できない」という意味でのコミュ障。

なぜ発言できないのか聞くと、ほとんどの場合「自信がないから」と答えます。

自信がないから声を大にして言いたくないだけであって、声を大にして言おうと思って言えなかったわけではない。

つまり、自ら選択して発言しなかったんです。

 

心の奥では「本当は発言したいんだ」と思っているかもしれない。

だけど「自信がないからやっぱりやめておこう」と思う自分がいるのも事実です。

自信がないから発言しないのはコミュ障ではない。

厳しい言い方をすれば、ただの努力不足とも言えますよね。

自信を持てるほど考えていないということですから。

 

でも、慎重になることも個性です。

時にはそれが功を奏す時もある。

だからこそ発言できない自分がいるんじゃないでしょうか。

 

気遣い・控えめはコミュ障ではない

僕がよく使う『エマジェネティックス』では、自己主張性を「左寄り」と「右寄り」と言います

「強い(ある)」「弱い(ない)」とは言わない。

なぜなら、どちらにも強みと弱みが存在するからです

 

自己主張性が右寄りだと、主導したいので速いテンポを好み、競争を善しとし、推し進める力がある。

自己主張性が左寄りだと、平和的に解決したいので自分が先にとは思わないし、周囲の和を大切にし、忍耐強い。

 

もしこれが右寄りだけだと、いつも社内はケンカばかりで決してまとまりません。

左寄りの人が喜んで他者の主導を受け入れてくれるから、組織はまとまっていく。

じっくり慎重に行動してくれる人もいるからミスも減る。

気遣いを優先することや控えめである事はコミュ障ではない。

組織の中では必要な特性。

 

言えるからコミュニケーション能力が高い、しゃべれるからコミュニケーション能力が高いというのは間違い。

右寄り・左寄り、どちらか一方が損をする組織ではいつまでたっても生産性は上がりません。

 

みんな個性を勘違いしすぎ

エマジェネティックスではいつも言いますが、全ての個性には強みも弱みもあります。

個性そのものを強い・弱いとするのは個人や組織の勝手です。

本来そんなものはないんです。

『個性』そのものに良い悪いはない。

 

日本は特に、個性そのものに良し悪しを求める傾向があります。

すると、平均的なコミュニケーションを取れることに価値を置いてしまう。

抜きんでた才能や、特徴的な思考特性を持つ人が活躍しづらい社会になっているということです。

 

まさに出る杭は打つ方式。

これからの社会では個性を持つ人ほど活躍するというのに、わざわざ個性を抑えてしまう。

“みんな同じ”を目指す必要はない。

「個性=コミュ障」としてしまう風潮だけはなくなるといいなと思います。

 

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コミュ障ではないけど問題なのは

わざわざ対立を生む姿勢

とはいえ、コミュニケーションの“一般的によくない”ものは存在します。

それを個性と言ってしまうと、人に迷惑をかけることも許されてしまう。

これを組織の生産性と言う観点で考えてみましょう。

 

たとえば、ガンガン発言して意見を戦わせることでいいアイデアを出したいと考える人がいるとします。

会議で他者が発言したことに対して“ダメな理由”ばかりを指摘し、そうすることで意見を引き出そうとする。

この場合、「控えめで平和的解決を望む人もいるんだ」という観点が抜けています

 

わざわざ対立を生むような方法でしかチームにアプローチできないようでは、平和的な人たちの意見は活かせない。

自分の価値観が当たり前だと思っていると組織の生産性が落ちる。

逆に言えば「平和的でないといけないよ」というのが同調圧力となり、丸く収めることを目的としてしまうのもよくないですね。

 

「色んな特性を持つ人がいるんだ」という認識を前提とすることがとても大切なんです。

 

ありがとうとごめんなさいが言えない

それから、体質としての障害ではなく事象としての障害となっているのが『感謝』『謝罪』に現れます。

その人達の間でうまく事実や認識・評価などのやり取りが行われていない。

 

たとえば、上司が部下の行動に『ありがとう』と言えない

この裏には「それぐらいやって当然だ」と思う上司の心があるかもしれない。

でも部下はせっかくの行動に無意味感を持ってしまいますよね。

それに、それぐらいやって当然だと思うならそう言えばいい。言えばやり取りは成立する。

部下は何かしらの反応や手ごたえを求めているのに、言わない。

「悪く思われたくない…でも感謝するのはしゃくだ」

「これぐらい、俺だってできる。こいつなんか全然すごくない。」

「評価したと思ってもらっては困る」

そんなプライドが障害となっているのではないでしょうか。

 

それに、何かミスをしても『ごめんなさい』と言えない

「認めたくない」

「それ以外のことで頑張ってるのに…」

「一度ぐらいいいじゃないか」

「謝ってしまったら自分が下みたいじゃないか」

ここでも心にわだかまる何かが邪魔をしています。

論理的に説明することも出来ず、謝罪もできないのでは、やはりコミュニケーションは不完全燃焼です。

 

そこにはきっと非論理的な感情があり、“不自然な事象”として現れているはずです。

「ありがとう」と「ごめんなさい」を止める何かが、言語化されていない感情的な障害です。

 

自然体でいることはコミュ障ではない

つまり、自然体でいることの方がよほどコミュニケーションが上手く取れていると言えます。

それがおとなしい表現であっても、それは個性として強みでもあるかもしれない。

 

会社の中ではどうしても“上手くしゃべれる”ことが良いように見えてしまう。

でもそれは一部の個性の強みが表出しているだけ。

それに、中身のない話を最もそうに言うだけの人だっています。

無理してしゃべったりしている姿を見ると、僕はちょっと息苦しさを覚えます。

 

『言えない』『伝わらない』『上手く出来ない』これだけでコミュ障とは言えない

むしろ伝わらないことが非言語の怒りなどに変わって相手に伝わってしまう方が障害ではないでしょうか。

とはいえ、そんなこと誰にでもあるんですけどね。

 

だから、みんなが言うほど『コミュ障』なんて存在しないと思います。

人の個性に目を向けて、みんなが自然体でいられる環境をつくりたいですね。

 

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宮内 利亮

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