将来に対する漠然とした不安を抱えていませんか?
それはきっと、明確な目標がないからこそだと思います。
キャリアコンサルタントとしてこんなことを言うのもなんですが、その目標、そんなに決めないといけないものですか?
キャリアは道。
道は繋がっている。
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【キャリアの不安】漠然とした目標
「自分は何がしたいのか?」
コロナの影響もあり、将来の事を考え始めた人も多いのではないでしょうか。
これからは我々キャリアコンサルタントの相談業務も忙しくなりそうですね。
相談を受ける中でも一番多い悩みとしては、「自分は何がしたいのか分からない」ということです。
職業を決めるとしても、まだ漠然としていて決めるに至らない。
資格を取るために勉強するべきなのか?
それとも昇進を目指して会社のために頑張るべきか?
ここままでいいのかな?
あれ?自分って何がしたいんだっけ?
目標が定まらず、モヤモヤしてしまうことは多い。
コレ!というやることさえ決まれば、一生懸命歩き出すことが出来るのに…。
先に進んでいるのか後ろに戻っているのかすら分からず、悶々とした日々を過ごしてしまいます。
「決まっていないと不安」
先のことが決まっていないと不安になる。
そうですね、たしかにその通りです。
だけど実はこの思考は、人によって程度が全く違います。
そこまで決まっていなくても大丈夫で、多少“遊び”がある方がいいという自由気質の人もいます。
逆に、決まっていないと全然踏み出せないから、とにかく石橋を叩いて叩いて叩きまくる人もいます。
「決まっていないと不安」は、人によってストレス度が全然違う。
「あの人はリスクを負って動き出すことが出来て本当にすごい」と思っている人がいたとします。
だけどそれは、ただ単に自分よりも未知の領域に飛び込むことにストレスを感じない人かもしれない。
過去の経験や生まれ持った気質によって、「未知には素晴らしいものが隠れている」という価値観を持っているかもしれません。
逆に「なんで動き出せないんだ。ビビりだなあ。」と思っている人がいる。
でもその人はきっと、自分よりも未知の領域に飛び込むことにストレスを感じる人なんです。
「未知にとても怖いものが潜んでいる」という経験を多くした人は、きっと慎重になっていることでしょう。
だけどその分、入念な下調べをすることが出来るんです。
簡単に一歩を踏み出せるか、入念に下調べができるか、これに優劣はありません。
遠くしか見ないこともデメリットだし、近くしか見ないこともデメリット。
どちらかに囚われないことが大切です。
目標はただの“目線の先”
どこかに移動する時、目的地をずっと見ながら移動することができますか?
東京から北海道に行きたいから、歩くときも座る時もずっと北を向いている人がいるでしょうか。
そんな人はいません!(笑)
家を出る時はドアノブを見るし、車に乗ったら道路を見る。
電車に乗ったら降りる駅まであと何駅か見て、飛行機に乗る時は搭乗口を見る。
そこに到達したら、すぐにまた次の到達点を見るはずです。
だけど家を出るのは窓からだっていいし、車で違う道を走ってもいい。
電車ではスマホも見ていいし、飛行機に乗る時は誰かに連れて行ってもらってもいい。
目標なんてものは、いくらズレても大した問題にはならないんです。
(あ、もちろん程度によりますよ。)
だいたいの方向が合っていれば、必ず目的に近づいている。
そして目的のほうも、途中で忘れていても全然問題ありません。
電車に乗ったら一安心、飛行機に乗ったら一安心。
途中であちこち見ても問題はないはずです。
違うことをしていて、降りたらまた目的を思い出せばいい。
さらに、「やっぱやーめた」と途中下車して目的地を変える方が楽しいこともあります。
目的地にたどり着くために目標が“どれかひとつに決まっている”必要はない。
目的地も、行きたくなくなったら行かなければいい。
結果「楽しかった」「よかった」と思えるほうが大切です。
柔軟であることは決してマイナスではありません。
まず最初に“とりあえず”目的地を決めて歩き出す。
「どうせ変わるんだから」です。
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狙った通りのキャリアなんていらない!
漠然の中にある可能性
狙った通りのキャリアを踏める人なんて、そうそういないんです。
それこそプロのスポーツ選手など、血のにじむような努力をする類の人達ぐらいでしょう。
その他、経営者なども含めて普通の人達は、「その時に現れたチャンスを拾って歩いてきた」人の方が多いです。
キャリアの8割は偶然が創り出す。
いくら漠然としていても、歩いてみればそこで気づくこと・得るものが必ずある。
今漠然としている目標の中には、可能性というお宝がゴロゴロ転がっている。
どこにどんな石があるかなんて分からないし、分かっていたら先に誰かが取っている。
小学校の時に「借り物競争」をやったことはありませんか?
よーいドンでスタートし、伏せて置かれたカードをめくると「帽子」とか「メガネ」とか書いてある。
それを観覧席にいる人から借りてきて、ゴールへ向かう。
カードに何が書いてあるか分からないから、一番先にカードをとってもビリでゴールすることもある。
残り物に福があって、「ラッキーカード」を引き当てるかもしれない。
そして最後は全員が必ずゴールする。
ゴールする条件は、進み続けるということだけです。
「メガネ」がどうしても引きたくて、どれが「メガネ」か分かるまでスタートしないなんてツワモノはいませんでした。
もし今漠然とした悩みを抱えているのなら、その原因は“選択肢が多すぎるから”ではないですすか?
キャリアに『柔軟』であること
漠然の中には多くの可能性があり、その分悩みは尽きません。
考えても先に進めない時は、「とりあえず進む」がセオリーです。
キャリアを歩んでいくうちに、必ずいくつかの障害が立ちふさがります。
結婚したら自分だけの人生ではなくなるし、選んだ業界が予期せず社会から消えてなくなることもある。
その時に、“選んだキャリアしか歩めない自分”ではいられなくなります。
キャリアは最初から全容が見えないもの。
その時に現れた課題やチャンスを選び取って残ったものがキャリア。
キャリアは未来にあるものではなく、1秒ごとに過去に残っていくものです。
選択の連続がキャリアをつくるともいえる。
だから“最初に決める”ことが大切なのではなく、“選べる自分になる”ことが大切です。
そしてその選択肢は進んだ先にしか見えてこないことが多いんです。
結局は「どう生き(行き)たいか」
「何がしたいのか?」を職業の選択や稼ぐ手段と捉えているのなら、それすらただの目標です。
何になる、何が出来た、は全て結果です。
「何がしたいのか?」キャリアの目的は道そのものだと思いましょう。
キャリアの目的は「どう生きていたいか」です。
譲れない大きな目標があったとしたら、その目標を叶えたいのはなぜでしょうか?
- そういう自分がカッコいい。
- 平穏な気持ちで暮らせる。
- いつもワクワク出来る。
- 大切な人といつまでも暮らしていける。
その先の歩み方・生き方が変わるからではないでしょうか。
旅に行く目的が世界遺産を見ることだったとしたら、本当の目的は“見る”ことそのものではないはずです。
世界遺産を見た自分に満足感を得ること。
見た時の新鮮な驚きや感慨深さを得るため。
苦労して得る達成感。
「ここまでやったんだ、ここまで来たんだ」
「ああ、嬉しい、素晴らしい」
そんな気持ちを得るためではないでしょうか。
もしかしたら、そこに着くまで気の知れた仲間と飲んで語り合うことかもしれない。
結局最後に得たいものは、きっとプロセス。
生き方になるはずです。
先の目標が決まっていないのは確かに不安ですが、その通りに進むこともないし、その通りに進むことそのものが目的ではないはずです。
何がしたいかは、歩きながらでないと分からないのかもしれませんね。